火災

最近、ニュースで度々火災の報道を見ます。この時期、多いですね。

今朝も、大変なガス爆発が起きたというニュースを見ました。

先日は、小学生と1歳の兄弟が亡くなったという痛ましい火事がありました。

この時期増える火災ですが、ニュースで火災の映像を見る度に、思い出すことがあります。(私はこの手の話に触れない方なのですが)

私がまだ幼稚園に通っていた寒い日の夜のこと。夜中に、4歳年上の姉に、起こされました。”起きて!火事だ!”。状況が全く分からず、起きて周りを見ても、もう姉の姿はありませんでした。次第に周りは煙に覆われてきました。咳き込み始めて”死ぬのかな”と不安になってようやく、自分の家が火事なのだとはっきり理解できました。手探りで窓の方に向かって、”助けて!”と窓の外に向けて手を伸ばしていたら、誰かに手をつかまれその後はどうしたのか記憶にはありませんが、2階から地上へ降りていました。どうやら母親が私と弟を抱っことおんぶをして、2階から飛び降りたようでした。姉は、父と一緒に火の手が回る前に階段から降りて脱出していました。私と3歳下の弟がいてすぐに逃げられなかった母が、命がけでダイブ(母は強し)。そのときに、母は背骨を骨折して、即入院しました。道路に出ると、まだ消防車は来ていませんでした。気がついた近所の人たちが何人か集まっていましたが、私たち姉弟は1.5キロ先の親戚の家へ裸足のまま冷えたアスファルトの上を走ったのです。振り返ったときに見えた、2階の窓から大きな炎が王様の髭のようにカールしながら燃えているのをはっきりと今でも覚えています。逃げ込んだ親戚の家で、布団に入ってからも、足は冷え切っているし、心臓はドキドキして、鼻の中は超~焦げ臭く、なかなか眠れませんでした。

古い家屋で、縁側がある中庭が大好きだった木造の家でした。死者がなかったのは不幸中の幸いでした。火災の原因は、放火と聞かされましたが、結局犯人は捕まりませんでした。私と姉弟は、母方の親戚の家、母は入院。父と、祖父母は父方の親戚の家へ。しばらく家族は離ればなれでした。皆逃げたときにパジャマだったので、それ以外はなく、全てを失いました。通帳や現金の紙幣は全て燃え、真っ黒焦げになった硬貨だけが残っていました。それだけではありません。和菓子屋を営んでいたので(実は今も両親が80を過ぎて現役でやってます。)、作業場という収入を得るための場所や道具、住み込みの人たちの部屋まで失いました。それが一体どれほどの損失だったのかは、当時の私はまだ幼すぎてよく理解できませんでした。両親は、放火されて家や仕事場を失って途方に暮れていても、警察に事情聴取で呼ばれたり、両隣の家には謝罪してお金を払わなければならないなど、本当に大変なことだったと思います。何と言っても、両親の最大の失敗は、火災保険に加入していなかったことでした。全てを自分たちで背負わなければならなかったのです。”人生、何が起こるか分からない”、当時まだ若かった両親の、失敗からの学びだったのでしょう。その後は保険にも火気にも口うるさくなりましたが、健康と命の尊さもより一層教えてくれるようになりました。そんな中私は、全てをガッツで乗り越えた両親の背中を見て、”何かあっても何とかなるものだ”、と信じて成長できました。ただ私たち姉弟には、幼少期の写真がほとんどありません。私は自分の写真代わりに、我が子の成長していく顔を楽しみに見ました。

かなり衝撃的な記憶なのですが、普段目にする報道だけではわからないことの方が多いのですよね。本当、人生色々なことがあります。

この時期、火の取り扱いには気をつけましょうね。